自信がないから成長するという話
子どもの頃から自信がなかった。
友人や親、先生といった周りの人の眼が気になり、周りが求めていることだけを行っていた。
ただ、そんな自信がない子どもは周りから見たらイジり、いじめの対象になる。
中学校時代に自分は「友だち」と思っていた人たちからいじめられた。
そして更に自信をなくしていった。
そんな自分が地元を離れることができたのは受験勉強のお陰。
勉強は誰にも気を遣う必要がないし、テストの点数で評価が決まる。
幸いにも勉強が得意だった自分は必死に勉強して第一志望の旧帝大に合格した。
ただ合格したことへの喜びはありながら、自分に対する自信はまだまだ低かった。
自分に自信がないから周りの評価をアテにしたくなる
一方で「旧帝大卒の自分」ということへのプライドは異常に高かった。
「頭が悪い」と思われることに対する恐怖心も大きかった。
自分に自信がないからこそ、「旧帝大」という世間的なブランドにしがみつきたかったのだと思う。
振り返ると自分は一般的に評価されるものをアテにして自尊心を保っていたのだと思う。
例えば旧帝大に合格する、上場企業で働くといった進路から、面倒なことを率先してやる(褒めてもらうために)といった日常生活まで。
「こんな自分なんか」という気持ちがあるから周りからの称賛が欲しかった。
そのために周りが求めることをやってきたし、仕事や研究で周りが求めることについては自主的に勉強してできるようになってきた。
ある意味、自分が何を学ぶか、何に時間を使うかということも全て他人に任せていたのかもしれない。
いつまでも自分に自信がないから成長し続けないといけない、と感じる
ただ自分自身も社会人として何年も生活していくなかで、周りからの評価を優先しているのは自分のクセだということに気がついてきた。
そして周りの要求に対して自分で勉強して能力をつけていく、ということが実は自分の得意なことだということも感じてきた。
一方で成長や勉強のモチベーションが「周りが求めているから」とか「自分には能力が足りないから」という焦りによるものなので苦しいのも事実。
そして焦りの原因は詰まるところ自分には能力がない、という自信のなさ。
結局どれだけ周りが自分のことを褒めてくれても、どれだけ自分が仕事で結果を出しても自分に対する自信のなさは消えないということ。
裏を返すと自信がないから自分は成長できるので、いい面もあるのだけど苦しくもある。
推しの声優の佐倉綾音さんが写真集のあとがきで「わたし他の人よりもたくさん頑張らないと他の人と肩をならべて歩けないんだ」と言っていた。
この表現がまさに自分にもしっくり来る。
自信がないから人よりも努力しないといけない、その考えはたとえ社会的な成功を手にしたとしても消えにくい。
難儀な性格だけども、そんな自分と付き合っていくしかないと感じる。
これからも自分は全力で苦しそうに走りながら、結果的にいろんな能力を付けていくんだろうな。
読み手の心にすっと入る言葉を選ぶ人たちってすごい
子供の頃はコミュニケーションを取るのが苦手だった。
相手の顔色や空気に合わせ、適切な反応を取らないといけないと思っていたから。
そう思い始めた理由はよくわからない。
ただ、物心ついたときから引っ込み思案だった。
もしかしたら生まれつきコミュニケーションが苦手だったのかもしれない。
いつしか相手に合わせて話を展開することが当たり前になっていた。
自分の話したいことを話さず、相手が求めている回答をする。
自分の話した一つ一つの言葉に対する相手の表情、返す言葉を注意深く見る。
そして話が終わったあとに相手の反応を頭の中で思い返す。
頭で思い返すときはいつもネガティブなことばかり
「ちょっと表情が曇っていたけど余計なことを言ったかな」「自分が話した後に気まずくなったのでは?」
そう思いながら、勝手に怯えていた。
人と話すほど感じる言葉選びの難しさ
そんな自分も大学生、社会人になり、まともに人と話せるようになってきた。
自分が発する一つ一つの言葉を相手は聞いていない、そういうことに気づいたからかもしれない。
サークルや飲み会、いろんな場を通して自意識過剰な妄想が溶けていったのかもしれない。
そしてまともに人と話せるようになって思ったのがコミュニケーションの大変さ。
相手の話に対して瞬発的に返す、みんなの会話の中でタイミングよく話に入っていく。
あとは笑い、関西では本当に笑いが求められることを知った。
とりわけ大変なのが自分が発する言葉の選び方。
自分の考えを最も適切に表現している言葉を選び、伝わるように話す。
相手が知っている単語であることはもちろん、自分と相手の頭の中に同じ意味が浮かぶ言葉を使わないといけない。
そういった言葉選びの難しさを感じている。
読み手や聞き手に伝わる言葉選びをしたい
言葉を選ぶのが特に難しいのは自分の気持ちを伝えるとき。
良かった、悲しい、嬉しい、感動したという感情が絡むとき、自分と相手の価値観が違うことに気をつけないといけない。
自分の好きなものに出会ったときの高揚感、推しの考えに触れたときの胸の高鳴り、可愛いキャラに出会ったときの尊い気持ち、なかなかこのあたりの気持ちを伝えるのは難しい。
だからこそ、映像やラジオ、本で読み手や聞き手の心を震わせることができる人はすごいと思う。
特に本、活字だけで自分の気持ちを届けられる人は本当にすごい。
社会人になり、自分は報告書や宣伝の原稿など仕事のための文章ばかり作成していた。
そうすると、論理的な文章やコンプライアンス的に問題がない文章を作成する力はついてきた。
しかし、読み手の心を動かす文章や言葉の引き出しが増えている感じはしなかった。
あと、人と会ったときに推しの良さを語りながら、自分の語彙力が不足していることも感じた。
だからこそ自分は言葉の引き出しを増やしたい。
なぜ、と言われたらよくわからない。
ただ、普段使っている日本語について、もう少し幅を広げたいという気持ちはある。
もっと沢山の言葉に触れていきたい。
【MOTHER2とほぼ日】遊び心のあるセリフと言葉と文章に触れるのが好き
中学生の頃はあまり活字に触れていなかった。
田舎で周りに本屋もなく、お小遣いもなかったので家にあるのは古い本ばかり。
友だちと遊ぶときも外遊びかゲーム、運動神経が悪かった自分はゲームで遊ぶのが好きだった。
ゲームの種類もスマブラやゴールデンアイのようなニンテンドウ64の対戦系、一人で遊ぶゲームもドンキーコングのようなアクション系ばかりだった。
RPGは数える程度しか遊ばず、ポケモンとスーパーマリオRPGくらい。
RPGはクリアまで時間が掛かるし、みんなで遊ぶことができないので敬遠していた。
すべてのキャラに話しかけてセリフを読んだMOTHER2
そんな子供のころでも、唯一気になったRPGがあった。
それがMOTHER2。
当時発売されていたゲーム雑誌(確かニンテンドードリーム)に「MOTHER2を遊んで泣かない人は人間ではない」と書いてあったからだ。
ゲームどころか創作物で感動して泣く、という経験がなかった自分にはその言葉の意味がわからず、印象に残っていたのかもしれない。
ただ、MOTHER2はスーパーファミコンで発売されており、もう手に入らなかった。
そんななか、ゲームボーイアドバンスでMOTHER1+2が発売され、ついにMOTHER2をプレイできるようになった。
ただ、自分自身はプレイして泣かなかった。
温かくてやさしいお話はとても良かった、それでも涙が流れることはなかった。
今でも創作物に触れて心が大きく動くことはあるけど泣くことはない。
もしかしたら自分は人間ではないのかもしれない。
一方でMOTHER2で大きく印象に残ったことがある。
それは街のモブキャラ一人ひとりのセリフや仕草。
例えば「アルプスの少女〇〇ジ→はい、いいえ」とか、ダンジョンでピザを頼むと諦めの電話を時間差で送ってくる配達員とか。
こういった遊び心の塊がMOTHER2に詰め込まれていて、そこに大きな魅力を感じた。
結局自分はすべてのキャラ、看板、オブジェクトに話しかけてセリフを味わうという楽しみ方をしていた。
ほぼ日でMOTHER2に再び触れる
そんな思い出を持った自分が糸井重里さんのほぼ日に触れたのはすぐだった。
ただ学生の頃はまだほぼ日で表現される言葉の味わいも深くわからず、MOTHER2に関する記事の魅力もまだわからなかった。
本格的に魅力がわかってきたのは大学生以降。
多少なり社会と社会人の大変さを理解しつつある中で、MOTHER2の開発が修羅場だったこと、任天堂の元社長の岩田聡さんが救世主になったこと、などの様々なドラマが本当に面白いと感じてきた。
また、人によってMOTHERで印象に残っているところは違う、ただ語る人たちはみんな楽しそうに思い出を分かち合う。
ゲームを媒体として知らない人と語り合える場所としての魅力を感じてきた。
別に直接語るわけでもなく、掲示板があるわけでもない、ただMOTHERに関する記事を読むと自分と同じようにMOTHERが印象に残っている多くの人の言葉が入ってくる。
そんなプラットフォームに魅力を感じていたのかもしれない。
元々言葉に興味がなく、自分自身も創作的な表現を行うのが本当に苦手。
だからこそ遊び心が豊富なMOTHERとほぼ日が好きなのかもしれない。
好きであるが故に再びアニメと声優に触れるのが怖い話
自分は15年来のオタクである。
大学時代はエロゲにハマり、I'v sound縛りでオールしながらニコニコ動画などの当時最新のコンテンツにもハマっていた。
そして社会人となり安定した収入を手にした自分は1冊800円の細長いきらら系漫画を揃え、きんいろモザイク、ゆゆ式、ご注文はうさぎですか?といった日常系アニメの円盤を着々と揃えていった。
その後、ごちうさのイベントから佐倉綾音にハマり、声優沼にもハマり、出勤のお供はAyane*LDKという生活となり、ズブズブと両足両手を沼に沈めていった。
趣味よりも仕事を優先していたころ
一方で会社員の仕事にも興味を深めていった。
元々研究開発という頭を使ってひたすら考える仕事は興味があり、与えられたテーマは大学の先生が「それは難しいよ~」というハードなものだが、だからこそ面白かった。
いつの間にか仕事終わりにアニメを見ていた生活は、仕事後も会社の図書室にこもってテーマに関する勉強を行い、移動中も頭の中で化合物が動き回る生活に変わっていた。
テーマに関係する教科書を自腹で買い、土日もコーヒーを片手にひたすら家で勉強をしていた。
いつしか自分の心の中の優先度が変化して、趣味の時間はすっかり減った。
最優先は勉強、次に優先するのは脳を休めるための休息、そんな生活が1年、2年と続き、気がつけば自分は30代になっていた。
キレイな思い出になるほど再び触れるのが怖くなる
30代になり、自分自身も仕事に慣れてきた。
一生懸命取り組んできたおかげか「勉強のやり方」自体が身についてきて、昔よりは効率的に仕事ができるようになってきた。
それとともに時間が空いてきた。
そして空いた時間は周りの人に誘われたイベントや頼まれごとで消費されるようになってきた。
自分の時間の使い方を自由に決めるよりも、人に決めてもらうほうが楽だったからかもしれない。
しかも人のために時間を使ったらその人から感謝してもらえる、それによってちっぽけな自己肯定感を高めたかったのかもしれない。
ただ、そんな時間の使い方をしていても、アニメや声優の推し活に時間を使おうとは思わなかった。
昔のようにハマることができないかも、という怖さがあったからだ。
何年もオタク趣味に触れていないと、いつしか作品自体が思い出として美化されていく。
そんな思い出をそのままキレイな状態で残したかったという気持ちが強かったのかもしれない。
ハマらなかったらどうしよう、次にどんな趣味を見つけよう。
そんな思いを持ちながら、ずっと新たなアニメの開拓や声優ラジオの視聴から避けていた。
何に怯えているかわからない、勝手に自分でシャッターを閉めている。
そんな気持ちが強かった。
ただ、30半ばになって、多少丸くなったのかもしれない。
最近アニメや声優ラジオを抵抗なく聞けるようになってきた。
こうして、懐かしの扉を開けたとたん、また両手両足は沼にズボッとハマってしまったのだ。
ごちうさ原作厨の自分がアニメを見てすっかり佐倉綾音さんにハマっていたお話
自分は15年以上前からアニメや漫画にハマっているオタクである。
初めて見た作品は「まほらば」という日常系作品、そのあと大学受験期に「ARIA」にハマり、センター試験直前に「ひだまりスケッチ」にハマる。
うめてんてーのご加護か、模試でE判定だった旧帝大に無事に合格、入ったサークルにいた沢山の仲間によってズブズブとオタク趣味を深めていき、コミケに行ったりアニソンカラオケのオールを何度も行ったりしていた。
ただ、大学院を卒業して就職したころには大学時代の悪友とも離れ、オタク趣味を語る相手も減っていった。
一方で社会人になり、余分なお金も生まれてきた。
そんなときにふとアニメのイベントに行ってみようかな、と思い始めた。
原作厨の自分の予想を超えてきたごちうさのアニメ、そしてココアちゃんの声
申し込んだイベントは当時1期が放送されていた「ご注文はうさぎですか?」。
元々原作が大好きで、アニメ化が決定した当初は「こんなキレイなイラストをアニメで再現できるのか?」と思っていた面倒な原作厨だった。
だが、アニメのクオリティは私の思い込みをいい意味で裏切るくらいのクオリティだった。
何よりもキャラの声がいい、特にココアちゃん。
天真爛漫で周りを明るくする雰囲気、お姉ちゃんのように振る舞いながらも妹っぽさが抜けない声、一回聞いただけで頭から離れない。
アニメが終わった頃にはすっかり難民となり、気がつけばDVDをポチり、気がつけば関西に住んでいるのに東京のイベントに申し込んでいた。
初めて参加したアニメのイベントでまんまと楽しさにハマるコミュ障の話
ごちうさのイベント、Rabbit House Tea Party。
会場は当時デング熱が流行っていた東京の代々木公園の横。
入場したときに虫除けスプレーを渡されてびっくりした記憶がある。
中に入るとピンク、青、緑、黄色、紫と登場キャラのイメージカラーの服を着た人ばかり。
隣の人は全身が緑に光っていた。
当時コミュ障だった自分はそんな雰囲気に飲まれてばかりでイベントが始まってからも周りとの温度差に戸惑うばかり。
ただ、段々とイベントの空気に慣れてくると自分も周りと一緒にペンライトを振り、キャスト陣の可愛い仕草にウォー!と叫び、ライブではホーッ!と奇声をあげるようになっていた。
「ああ、イベントって楽しいんだなぁ」
すっかりハマってしまった自分は大阪で行われるごちうさのトークショーに申し込んでいた。
スカイビルであやねるが目の前に座った話
大阪梅田のスカイビルで行われたごちうさのトークショーはキャストの何名かと監督が参加予定だった。
キャストのうち、誰が参加するかは事前にアナウンスされていたが正直参加するまで把握していなかった。
代々木公園のイベントに参加してはいたものの、正直あまり声優にはハマる前だったからだ。
あくまでメインはごちうさというコンテンツ、そのコンテンツの魅力を引き出す方々が声優のみなさんだという捉え方だった。
だからこそ、トークショーも作品の裏話を聞きたい、という前提で参加していた。
しかし、実際に会場へ行くと自分の席は前から4列目、しかも目の前のステージにはパイプ椅子がある。
「誰が座るんだろう、端だから監督か司会の方かな?」
そう思っていた自分の前に座ったのはあやねるだった。
目の前にあやねるが座った瞬間、自分の中での常識が変わってしまった。
近くで見てもキレイな顔、若々しい肌ツヤ、芸能人特有のオーラ、もし自分が声優に詳しくなかったとしても「この人はなにか違う!」ということくらいはわかっただろう。
いや、わかるくらいのセンスがあると思いたい。
とにかく近くで見るあやねるは違った。
そこから声優沼にズブズブとハマりだした。
あやねるのラジオCDを買い漁り、写真集を持ち歩き、仕事でミスをしたりへこんだとき用のあやねる写真をスマホにはストックしていた。
そんな気持ち悪いメンタルコントロールもあってか、仕事自体は結果がどんどん出始めてきた。
こうしてコミュ障のオタクは、ちょっと仕事ができて人と一応ちゃんと話せるくらいのオタクに変化しつつあった。
アウトプットの練習と推しを語るために記事を書く
ブログを始める。
これは特に大きな目的や伝えたいことを持っているわけではなく、思考の整理とアニメや声優など推しへの思いを語るだけの媒体。
始めようと思ったきっかけは自分の思考をアウトプットする機会が少なくなっていることへの危機感と、自分の好きなことを好きなように語る機会が減っていることへの不満感があったから。
自分自身は旧帝大学を卒業して、大手の企業に入社、その後に自分自身のスキルアップ、収入アップを狙って転職して今は十分な収入を得ている。
仕事は忙しくもありながら興味深い内容で、自分自身の成長も実感している。
収入も食うに困らないどころか、なにか欲しい物があったらすぐに買えるほどに十分。
そういった面では特に生活に苦労をしているわけではない。
仕事の能力は上げられる一方で思考の深さと整理の時間がなくなっていく危機感
一方で感じているのが日々の仕事などに時間を取られて自分の考えを深めたり、アウトプットして整理したりする機会が減っているということ。
仕事のスキルは磨いているものの、思考の幅が狭くなっていることに対する危機感が年々深まっていること。
そして何より自分に趣味というものがなくなっていて、生活自体が無機質に感じられたこと。
ただただ時間ばかりが過ぎていき、あっという間に30代なかばになった現状に対してかつてない危機感を感じている。
頭の中で思考を巡らせるだけなら簡単、ただアウトプットするとなると話は別
以前から自分の思考をアウトプットする機会やインプットする情報の数や種類が減っていることには危機感を覚えていた。
一方で自分は頭の中で色々考えているから特に問題になることはない、ということも感じていた。
ただ最近思うのは頭の中で考えを巡らせても、その考えをアウトプットできるくらいにまとめる力が落ちていること。
そして思考自体が凝り固まっていること。
なんとなく自分の頭が悪くなっているような気がして、危機感が高まっている。
そして自分の頭が悪くなっている原因の一つは自分の考えをアウトプットしていないからではないかと思い始めてきた。
転職をしてコミュニティが変わり、そもそもコロナ禍で人と会う機会が減っている中では受動的だとコミュニケーションを取る機会が減っていく。
他の人と話す内容は仕事の具体的な話ばかり、雑談や自分の趣味に関する話をする機械など滅多にない。
そして自分は趣味を人と話すことによって、更にその趣味にハマっていくというタイプであるため、語る相手がいなくなると趣味自体を深めようとも思わなくなる。
結果的に今起こっているのが無趣味になっていき、空いた時間はなんとなく過ごしているだけ、という状態。
つまるところ、アウトプットする機会が減っていることが自分の生活の無機質さの根本原因の一つではないかと思い始めた。
そのため、今回こういったブログで自分の趣味と思考を垂れ流していこうと感じた次第。
リハビリも兼ねたものなので、不定期更新としつつまずは練習として記事作成を継続していきたい。